「年間100曲」ペンギンスのコーライトな日々

コーライティング(Co-Writing)で年間100曲を完成させ、職業作曲家としてメジャーアーティストに楽曲提供しているペンギンスが、毎日のコーライティングで想うことを書いてます。

「音楽の質」と「提案の質」は違う

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 こんにちは、作曲家のペンギンスです。

 前回は年間100曲作るという話をしました。その中で「量と質」という話が出てきました。この話はめちゃくちゃ大事な話なので、少し掘り下げてみたいと思います。


 世の中のミュージシャン志望の若者の間でも、延々と終わることない「プロになるのに大切なのは量か質か論争」みたいなのが続いています。曰く「量が大切だ!なぜなら、数をこなせない奴にプロになる資格はない」「いや、質が大切だ!なぜなら、一定レベル以下のものをいくら作っても意味がない」云々。
 結論から先に言うと、これは両方正解です。数を作らずにプロになった人など聞いたことがありませんし(ごく少数の天才的アーティストは例外)、逆にやたらと数を打つけど音を聴いてみるとがっかり・・・というケースも枚挙に暇がありません。「一定レベル以上の質のものを、なるべく沢山作り、それを継続する」この当たり前の結論にたどり着くしかありません。

 ただ、次第に気づいてきたのがこの「質」というやつの厄介さです。なぜかというと「質」は「量」がこなせないことの言い訳になりやすいのです。

 「質が悪いものは出せない、だからそんなに沢山は作れない」という言葉はいっけん音楽家としての良心を感じさせますし、また職人として譲れない矜持のようなものすら感じさせます。しかし、ここで考えてほしいことがあります。「その質というのは、なんの質のことですか?」と。
 作曲家が作った曲の良し悪しを判断するのはクライアントです。そして気を付けなければいけないことは、クライアントは何も「いい曲」「好みの曲」を選んでいるわけではなくて「業務上の必要性に最も適した曲」を選んでいるということです。音楽を選んでいるのではありません。提案を選んでいるのです。
 例えば新人女性アイドルグループに、抜群の歌唱力が必要な、素晴らしいバラードを提案する。これは音楽の質としては文句なしでしょう。しかし歌唱力にバラツキがある新人グループには、荷が重すぎる提案かもしれません。提案の質としてはいかがなものか?
 いっぽうで同じエッセンスを持ちながらも、歌える範囲の狭い音域を駆使しつつ、シンプルで歌いやすいメロディーに落とし込んだら、音楽の質としては疑問符を付ける向きもあるかもしれません。しかし、提案の質としてはこちらのほうが断然すぐれている可能性があります。
 音楽の質を上げるには、ジャンルにもよりますがある程度の時間を割く必要があります。だから質を上げるためには量を減らすという判断になりやすい。しかしここでいう質というのは音楽の質ではなくて「提案の質」です。幸いなことに提案の質というのは作業量でなく思考量で決まります。時間を区切って、深く考え、的確な提案内容はこれだ、という判断をくだす。そこに力を割けば、限られた時間でも「提案の質」とその量を増やすことは可能なのです。

 「音楽の質」と「提案の質」を混同しないこと。職業作曲家として僕が最初に学んだことでした。

 むろんアーティストであれば質の定義を自分で決めるわけですから、上記の言葉は真実かもしれません。また編曲家はボツを大量に作り試行錯誤するくらいなら決め打ちの発注を確実に仕上げる能力がもとめられるように思います。なのであくまで作曲家としての観点の話とご理解ください。

【次回予告】
次回は「数を打つって素晴らしい vol.1」です。