「年間100曲」ペンギンスのコーライトな日々

コーライティング(Co-Writing)で年間100曲を完成させ、職業作曲家としてメジャーアーティストに楽曲提供しているペンギンスが、毎日のコーライティングで想うことを書いてます。

コーライトでぶつかった最初の壁とは?

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こんにちは、作曲家のペンギンスです。写真はそびえる虎ノ門ヒルズです。壁・・・

 前回まで、初めてコーライトした時に思ったことなどを書いてきました。今回は僕がコーライトでぶつかった最初の壁(というか疑問)について書きたいと思います。
 僕がコーライトでぶつかった最初の壁、そして疑問は「これって職人による分業と何が違うの?」というものでした。
 昔から歌謡曲、ポップスと呼ばれる音楽では、作曲家が曲を書き、作詞家がそれに歌詞を付け、編曲家がアレンジ、レコーディングをして歌手が歌う、といういわゆる「分業体制」が確立されていました。シンガーソングライターの隆盛やリスナーのアーティスト志向の強まり、デジタルレコーディングの発展により90年代にはこの分業体制は弱まっていくのですが、それでも歌モノの世界にはこういった職人たちの分業の集大成である至高の名曲がたくさんあります。コーライトは複数メンバーによる楽曲の共同制作ですが、これって作詞・作曲・編曲を担う複数メンバーによる「分業」と一体何が違うというのだろう?・・・これがコーライトを始めた当初に、僕の中に浮かんだ疑問でした。昔からやっている分業を、単に新しい呼び方で呼んでいるだけなのではないか?と。
 結論から言うと、コーライトと分業の最大の違いは、以前のエントリで書いた「ディレクション」という役割にありました。その時も「ディレクションという概念こそが、コーライトをコーライトたらしめている」と書きましたが本当にその通りで、各メンバーが自らの担当する内容だけでなく、曲のビジョンを共有して、完成形のイメージを全員が持ちながら進めていくところが、分業ではなくコーライトの一番の魅力、強みなのではないかと思います。
 もちろん昔ながらの分業歌謡曲の世界にもメーカーのディレクターなどが存在して、全体の指揮をとられていたことと思います。ただし大きな違いとしては、コーライトメンバーというクリエイターチームの中にディレクションという客観的な役割が求められいているところが現代的だなと思います。クリエイターですら自分の作品、自分のポジションに没入するのではなくて、客観的に作品をディレクションする能力が求められているということですね。
 またもうひとつの違いとして、分業と比べるとコーライトの各メンバーの役割には圧倒的な柔軟さがある(求められる)ということがあります。さしずめ分業が野球ならコーライトはサッカーというところでしょうか。お互いの得意・不得意の把握は当然ありつつも、「目の前に転がってきたボールは蹴る!」「必要とあらば自分のポジションを変えられる」というのがコーライトならではの魅力なのではないでしょうか。柔軟さという意味では、作詞・作曲・編曲など役割で機能別にわかれるのが「分業」だとしたら、各自が役割を持ちつつも、コーライトメンバーの個性が融合するのが「コーライト」と言えると思います。

 「コーライトはただの分業なのではなか」という僕の抱いた疑問は「コーライトは役割別の分業ではなくてディレクションによる個性の融合だ」という答えにたどりつきました。メロディーという個性、トラックという個性。それらをディレクションでうまく融合させ、分業しても作れない新しい価値を提案する。これがコーライトの一番の魅力であると言えるでしょう。

【次回予告】
次回は「『遠慮せず意見を言う』の『その次』が大事だよね」です。