「年間100曲」ペンギンスのコーライトな日々

コーライティング(Co-Writing)で年間100曲を完成させ、職業作曲家としてメジャーアーティストに楽曲提供しているペンギンスが、毎日のコーライティングで想うことを書いてます。

『遠慮せず意見を言う』の『その次』が大事だよね

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こんにちは、作曲家のペンギンスです。写真は日本科学未来館の地球のオブジェを真下から撮影したものです。なんかこう、ディスカッションのイメージということで・・・

 前回は「コーライトって分業と何が違うの?」という話をしました。そしてディレクションの有無がコーライトと分業の違いだよね、という結論になりました。ディレクションの有無というのはつまり、各役割間でのコミュニケーションがちゃんと出来てるか?ということとイコールです。
 実はこれまでしばしば言われてきた意見として「日本人コーライト不向き説」というものがあります。まぁ個人的にはこの手の「日本(人)にはxxxは不向き・馴染まない」という話は大抵は先入観でしかないと思っていて、日本語にロックが馴染まないと言われながらはっぴぃえんどが実現したり、日本人に実名SNSは不向きとさんざん言われながらあっけなくFacebookが普及したり、もはや「日本人には向かない」と言われたら普及するフラグなんじゃないかという気さえしてきますが(笑)、この「日本人コーライト不向き説」にも僕はまた同じ匂いを感じています。これは日本でコーライトが普及する予感しかしません(笑)。
 さて、「日本人コーライト不向き説」の理由としてあげられている筆頭が「日本人は作品に対する意見と作者に対する意見を混同しがちで、その結果として対人批判を控えるあまり作品に対する意見を言う=ディレクションが苦手」というものがあります。これ自体はそんなに的外れな意見ではなく、確かに日本以外の方とのコミュニケーションと比較すると、日本国内でのコミュニケーションは往々にして「何か意見ありますかと言われても黙っている」というおなじみの情景が多いとは思います。そして確かにコーライトを初めてやってみましょう、というワークショップなどを覗いてみても、この状況に陥っているチームは非常に多いです。ターゲットを決めましょう、リファレンスを決めましょう、役割分担を決めましょう、メロディーや歌詞への意見を出しましょう・・・シーン。「・・・それでいいと思います」ぽつり。
 ただ、だからといってこのメンバーの人たちがコーライトが苦手と決めつけるのはあまりにも早計な気がします。事実として、こういう感じのチームでも、ディレクションタイプの人間が入って少し意見を引き出せば、「遠慮して意見が言えない」の状態は割と簡単にクリアして、「このアーティストに提供してみたい」「この曲が好きだから、こんな風にしたい」「ここはちょっとメロディーが変」といった意見が出てくるようになります。なので「遠慮して意見が言えない」の状態だからといって、コーライトを諦めてしまったり苦手意識を持つのはまだ早いと思うんですね。
 むしろ僕が「確かにこれは難しいなぁ」と思うのは「遠慮せず意見を言う、の次の段階」です。具体的には、勇気を持ってみんなが言った意見を、どう取りまとめて曲を良くするためにジャッジするか」という判断の部分。ここで「みんなの意見を少しずつ反映させよう」とか「前回は誰々の意見を採用したから今回は誰々の意見を採用しよう」というように「クライアントに採用される曲を提案する」という目的からズレた「和を乱さないためのジャッジ」みたいなものをしてしまうと、これは当然ダメなんですが・・・ここでつい空気を悪くしないために「それもいいね」「良い感じだね」と出てきた意見をやみくもに平等に取り入れてしまうというのは、確かに陥りがちな話だなとは思います。
 なのでコーライトメンバーから意見が出てくるようになったらしめたものですが、大事なのはその次、それらの意見を、良い曲のため、クライアントのためにどうまとめるかの段階。ここが今コーライトを始める人が一番気をつけてほしい点だなと思っています。

【次回予告】
次回は「日本人コーライト不向き説を検証」です。