「年間100曲」ペンギンスのコーライトな日々

コーライティング(Co-Writing)で年間100曲を完成させ、職業作曲家としてメジャーアーティストに楽曲提供しているペンギンスが、毎日のコーライティングで想うことを書いてます。

『こう思う』『いや思わない』のループを抜け出したい

 こんにちは、作曲家のペンギンスです。なんか天気悪いですね。今日は自分でも答えが出ていない話をかきます。
 曲づくりはなんだかんだで感性の世界なので、コーライトもなんだかんだで感性の世界です。でも感性の世界だけどひとりの世界ではないので、感性についてコミュニケーションする機会が当然あります。そこで思った以上に話が噛み合わなくて困ることってあるんですよね・・・
 「このメロディ(歌詞)は子供っぽいのか、大人っぽいのか」とか「このサウンドは新しいのか、古いのか」とか「このアイデアはこのアーティストにアリなのか、ナシなのか」とか、そういう二者択一の判断が、どうしても合わない時が結構あります。ポイントとしては、「何をすべきか」は比較的言葉にしやすくて、なおかつ全員の合意を得やすいのですが、実際に音や歌詞にしてみたときに「この音(歌詞)はさっき決めた「何をすべきか」に合っているのか?」という判断が、人によって全然違うんです。

 「新しいサウンドで、大人っぽい曲にしたいよね」「そうだね」
→「作ってみたよ」「全然新しくないし、子供っぽいじゃん」「いやそうは思わない」「いやそう思う」みたいな・・・。

 で、もしそこで曲づくりが理論や数字の世界だったら、事実としてこうだよね、みたいな数字を確認して、理論的に結論までの道筋を話し合っていく、なんてことが可能なんだと思います。だけど実際問題として曲を作っていると「これでいいのか」みたいな場面が多々あって、そのたびにそこに合理的に判断できるといえるだけの十分な根拠なんかないんですよね・・・。なのでタイトルにある通り「僕はこう思う」「いや、私ははこう思わない」みたいな話がループしたりします。
 最終的にはなんらか決めて前に進まなければ曲が仕上がらないので、「じゃあこれで」みたいな話になるんですが、「今回はその考えに乗ってみるか」「まあ誰それが言うんだから仕方ないか」みたいな釈然としない気持ちのままのときもあって、どうすればいいのかなぁ、と悩んでいます。

 答えが出ていない、と冒頭に書いたけど、なんとなく思うところはあって、「言葉で議論していると空中戦になっちゃうから、あくまで音を媒介にして議論したほうがいい」という気はします。例えば「この曲は子供っぽいか、子供っぽくないか」という議論が紛糾したとしたら、実際に1曲なにかターゲットのアーティストの曲を一緒に聴いて、例えばこれだと子供っぽいのか?といった確認から始めたほうがいいと思います。そうすると、「これは子供っぽくないよね」「なるほどね。だとするとメロディーとかコードは今回の曲も別に子供っぽくないのでは?」「いや、でもやっぱ俺たちが今作ってる曲は子供っぽいよ」「似てるのに?」「そう」「なんでだろね」「メロディーとかコード以外の問題じゃね?」「原因探してみよう」みたいな展開を経て、最終的にBPMが少し早過ぎてリズムのイマドキ感がないことが原因だという認識を共有できたりします。これは音を使って議論したからたどり着けた結論ですよね。ミュージシャンは言葉の専門家ではないし言葉の使い方の統一基準があるわけではないので、やっぱり音を鳴らしながら話し合うのが一番大事だなと思います。
 音を鳴らしながら一歩ずつ進んでも、それでも分かり合えないことも山ほどあるので、だから音楽って難しいなと思うんですけどね。

【次回予告】
次回は「努力と勇気のバランス具合について」です。