「年間100曲」ペンギンスのコーライトな日々

コーライティング(Co-Writing)で年間100曲を完成させ、職業作曲家としてメジャーアーティストに楽曲提供しているペンギンスが、毎日のコーライティングで想うことを書いてます。

「メタメロディー」という捉え方が大事な気がする

 こんにちは、作曲家のペンギンスです。外付HDDがうまく認識されません。ケーブルを替えたりしながら騙し騙しやっていたのですが本当になんとかしないとまずいですね。。。
 さてそんな中ではありますが先日某所にてコーライティングセッションに参加してきました。初対面のお二人と3人1組で半日程度のセッション。ひとりがシンガーソングライターだったので歌いながら作っていく感じで、久々の「シンセメロが一切登場しないコーライト」となりました。
 そんなきっかけもあって思ったのが表題の「メタメロディー」という発想です。「メタ」のメロディー、つまりメロディーの「より上位の、より形而上の」という意味ですが・・・ちょっとわかりやすく書き直しますね。

 「メロディーは一般的に楽譜に音符で記録されたり、DAWにピアノロールで記録されたりするけど、どんな歌い方をするか、どんな歌詞にするかで、実際には楽譜やピアノロール通りのシンセメロとは微妙に違ってくるよね。だけど、微妙に違ったからといってシンセメロと比べて急に良くなったり、逆に悪くなったりするか?そんなこと、ほとんどない。よく考えてみたら不思議なことだ。メロディーは、どこを変えても大差なくて、どこを変えたら激変してしまうのだろう?メロディーの中には、重要さの濃淡がありそうだぞ。ということは・・・あるメロディーが良いか悪いかというのは、音符1個の音程や長さよりも、全体のおおまかなメロディー構造の枠組み=メタメロディーの良し悪しの時点で既にほとんど決まってしまっているのではないか?

という仮説です。
個人的にはけっこう大きな発見だったんだけど、この書き方で伝わるかな・・・

もう少し詳しく書きます。
「ドレミファソー」と上がるメロディーと「ドレミーファーソー」とためて上がるメロディー、「ドレミドソー」と一旦下がるメロディー。いま3種類の「個別のメロディー」があるとします。これらは共通の「ドからソまで上がる」という「メタメロディー」のバリエーションと考えられないでしょうか。「ようは(この曲のこの場面に限っては)ドからソに行けばグッとくる」もっとメタな視点で見れば「ようは(この曲のこの場面に限っては)大きく上行するメロならグッとくる」という法則性に気づくことが大事で、あとは歌詞や歌い方で多少印象が変われど、メタメロディーが守られていれば大丈夫なのではないか。そしてこれがいわゆる「ツボを押さえたメロディー」の正体なのではないか・・・

という仮説です。
伝わるかな・・・

ご意見お待ちしてます。