「年間100曲」ペンギンスのコーライトな日々

コーライティング(Co-Writing)で年間100曲を完成させ、職業作曲家としてメジャーアーティストに楽曲提供しているペンギンスが、毎日のコーライティングで想うことを書いてます。

長調と短調、コードとスケールの乖離〜SoundQuestさんの考察ツイートに興奮した件

こんにちは、作曲家のペンギンスです。

作曲家にもいろいろなタイプがいますが、ぼくは結構理屈っぽいタイプなのではないかと思います。見ての通りブログを書くのも好きで、どちらかというと作曲するのと同じくらい、作曲について考えることも好き、という研究者タイプの一面もあります笑 そんな僕ですので、先日TwitterでSoundquestさんのこんなツイートを見かけて、大興奮でした。



Soundquestさんは以前も当ブログの音楽理論に関する過去記事で紹介したことがあるのですが、既存の音楽理論を、現代のポップス事情にあわせて実践的に再構築するという非常に意欲的な試みを続けていらっしゃるかたです。なので僕もかねてより注目しており、Twitterもフォローして日頃から追いかけていたのですが、そんななかでこのツイートには特に心を惹かれました。

「丸サ進行」みたく、と言われているのは椎名林檎の「丸の内サディスティック」みたいなコード進行、ということかと思います。Key=CでFmaj7-E7-Am-Gm7-C7という、いわゆる「Just the Two of Us進行」と言われているものですね。私もペンギンスTIPSシリーズVol.3の教材用記事でこのコード進行を取り上げています。

上記ツイートのなににそんなに興奮したかというと「マイナー寄りのコード進行」「メジャーの方の終止に偏ったメロディ」という2点を並列に論じているところなんですね。僕は日頃から「J-POPというのは西洋音楽とアジア人としての日本人の伝統的な音楽アイデンティティとの間で引き裂かれそうになりながら必死にバランスをとっている音楽だ」というふうに思っているのですが、このようにコード進行とメロディーが乖離する、分離する感じというのは、その結果として生まれたものなのではないか、と言うふうに思うのです。

Soundquestさんはさらに続けます。



コードの骨、メロディの骨、という言葉が、興奮しますね・・・以前にもこのブログでとりあげた、僕の座右の書である「楕円とガイコツ」を彷彿とさせる表現です。コード側ではノンダイアトニックコードなども使いつつ短調の世界観の中で動く。メロ側はダイアトニックで長調の世界観で動く。これをぶつけたものが現代J-POPである、と。なるほどなるほど。




Soundquestさんのものの見方で共感するのは、このツイートのように「曲をつくる立場として、この考え方にどういう恩恵があるか」という視点があるところなんですね。こんな曲が作れるようになる、こんな良さが曲に生まれる、という視点は、実作者として非常にためになります。

クゥゥゥゥゥゥー!興奮しますね!

「リスナーがどんな音楽を良しとするか、どんな響きを好むか」という「前提」そのものが進化論的に変化していくという仮説は知的好奇心をマックスくすぐってくれます。こういう考え方を持ちながら日々、作曲したい!

ヌォォォォォォォォー!!!(落ち着け

こうして、地理と歴史と数学と建築と恋愛を一体化させることができるのが!音楽のロマンティックな素晴らしいところですよね!音楽を聴く、作るだけで、遠い異国や、はるか昔の人々の感情に、論理でもって直結することができる。そして建築のように人々の役に立つことができ、恋愛のように人々を感動させることができる。

音楽って最高ですね。

ということをどうしても伝えたくてSoundquestさんの考察ツイートをたくさん紹介させていただきました。なお、上記のツイートは一連のツリーになっているものですが、途中省略したツイートもいくつかあります。最初に紹介したツイートからの流れでたどって読むことでSoundquestさんの本意になると思いますので、是非Twitterでお読みください。そして是非Soundquestさんをフォローしてみてください!