「年間100曲」ペンギンスのコーライトな日々

コーライティング(Co-Writing)で年間100曲を完成させ、職業作曲家としてメジャーアーティストに楽曲提供しているペンギンスが、毎日のコーライティングで想うことを書いてます。

ディレクションってなんだろう、と改めて考える

おはようございます、作曲家のペンギンスです。

花粉と戦っている皆さん!
勝利の日は近い。がんばりましょう(こればっか言ってる)

さて。

最近、作家仲間の方から「コーライト初心者の立場から、ペンギンスさんにディレクションをお願いするということについて、ペンギンスさんはどのような考えを持っているのか聞かせていただけないでしょうか。初心者なので出来れば自分達だけでやった方がいい、またはどんどんディレクションをお願いしてクオリティ重視にした方がいい、など」という質問を受けました。軽くメッセンジャーでレスをしようとして、詰まりました。この質問は、そもそもディレクションってなんだろう、という問いに答えられなければ、お返事することができないからです。

そこで書きかけのエントリ「ディレクションってなんだろう、と改めて考える」を完成させることにしました。

以下のエントリは、去年書きかけたもののずっと悩んで書き上げられず、下書きのままにしていたものを元にしています。それだけ、書くのが難しかったということです。最近の質問に対して、以前書きかけたものの加筆でお返事することをお許しください。質問に対する返答として、これが一番的を得ていると思ったからです。

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最近ありがたいことに「コーライティングに、ディレクションで入ってほしい」というお誘いをいただくことが増えました。
まだヒット曲と呼べるようなホームランを打てていないこんな私でも気づけば作家デビューから4年近くが経ち、リリースされた曲数も2ケタ台になり、大変ご好評をいただくクライアントさんも出てきて、なんとなーく頼られたりすることも出てきたみたいで・・・それはそれで正直に言えば、とても嬉しいです。声を掛けて頂いて本当にありがとうございます。

ただ、ディレクションしてほしい、というお誘いのたびに、いくつか疑問というか、不安、心配も正直あって。その気持ちを忘れないうちに書き残しておきたいと思って、つらつらと書き連ねてみます。

まず、コーライトにおけるディレクションってなんでしょうか?

そもそも、ディレクションってなんだろう?と振り返るために、まずはこのブログで何度か紹介した「コーライティングの教科書」を読んでみましょう。

ディレクター:楽曲の方向性を決定し、各役割の人に適切な指示を出せる人。コーライトした楽曲の出口までイメージできていることが大事です。(「コーライティングの教科書」P.008より)

もう少し読んでみましょう。

■ディレクター型
 トラックも作らないしメロディも主動的には作らないで、あえて客観的な目線で意見を言う立場。コーライティングのチームリーダーとして目標を提案し、作業の流れを作り、メンバーが各自のチカラを存分に出せる空気を作り、そして出来上がったデモの出口まで用意します。ディレクター型の一番大事なところは、楽曲の明確なイメージを持つことでしょう。そのイメージが、チームの進むべき道の標となるのです。(以下略、「コーライティングの教科書」P.026より)

いかがでしたでしょうか。「曲の完成を明確にイメージし、そこに向けてメンバーを引っ張っていく」という役割ですね。つまり僕が「コーライティングにディレクションで入ってほしい」と言われたということは「曲の完成を明確にイメージし、そこに向けてメンバーを引っ張っていってほしい」と言われたのと同じということです。

ここで考えなければいけないのは「それまでその曲を作っていたコーライトメンバーには、曲の完成形のイメージはなかったのか?」ということです。これはいくつかの可能性が考えられます。

1・曲の完成形をイメージしないままなんとなく作っていた
2・曲の完成形は頭の中にあったが、どうやってそこに向かうかわからなかった
3・曲の完成形は頭の中にあるし、向かい方もわかるが、「そこに向かうことがそもそも正しいのか」自信がなかった。

まずこの3つのうち僕がシンプルに「よくないなあ」と思うのはもちろん1番です。曲の完成形をイメージしないまま作るのはダメです。というか、普通完成形が頭の中で鳴っているのを実際の音にしていくのが作曲だと思うんですが、違うのかな・・・。1番の状態でディレクションを頼まれたとすると、「よくわかんないけどとにかく完成させたいんです」と言われているように思ってしまいますよね。1番の状態の場合、ディレクションを頼む前にまずやるべきことは「自分たちは(職業作曲家の場合)どのアーティストをターゲットに曲を書くのか、それはどんな曲で、どんな場面で使われるのか」をちゃんと決断することが大事だと思います。誰のためにどんな曲を書き、どんな風に歌われる、聴かれる。そのイメージさえあれば、ディレクションでお手伝いすることができると思います。

2番はアーティストプロデュースに近いかもしれません。天才的アーティストの頭の中で鳴っている音を、職人的アレンジャーを経たベテランプロデューサーが音楽家同士心を通じ合わせて解釈して、具体的な曲に仕上げていくという感じ。これはもちろん意味のあることだと思います。これもがんばらせていただけたらと思います。

3番がいちばん商業作曲家同士のコーライトとしてあるべき姿だと思います。自分なりの完成形はしっかりとイメージできている。それを実現するためにどう手を動かせばいいのかもだいたいわかる。しかし、そもそも「そっちに向かうのが正解なのか」のジャッジに自信がない。これはとてもよくわかります。こんな時に、めざすターゲット・アーティストへの楽曲提供実績があったりして、ターゲットについてよく理解している作曲家がディレクションでコーライトインしたら、とても力になりますよね。大きな部分から小さな視点まで「このアーティスト的にこれはない、こっちのほうがいい」という風に導いてくれたら百人力ですよね。

こうやってみていくと、ディレクションというのは、それよりもさらに上位の概念である「情熱」によって支えられてこそ成り立つんだなーという気がします。「どうしてもXXXに曲を書きたい」「どうしてもXXX(リファ)みたいな曲を書きたい」「私の歌声は誰にも負けない。この歌をうまく活かして曲を書きたい」・・・どれも強い「情熱」ですよね。情熱があってこそ、それを叶えるためにどうするかをディレクションする意味が生まれます。

あと追加でいうと、ディレクションはなるべく最初の段階からお誘いいただけると嬉しいです。たまに「XXさんがトラックメーカーで、YYさんがシンガーで、ZZをターゲットに曲を作っていて、MIXがうまくいかないのでディレクションで入っていただけませんか」といった依頼を受けるのですが、話を聞いてみると、そもそもXXさんが明らかにZZとか得意じゃなさそうだったりします。こうなると「MIX以前に、本当にその曲を完成させることに意味があるのか?」というところをしっかり考え直さなければなりませんから、そのようなアドバイスだけさせていただいて、コーライトインは遠慮させていただくということもありました。

最後に、冒頭の質問に直接答えると、コーライト初心者の方同士のチームにディレクションで入ることにもちろん意味はあると思います。ただそれが「単に状況を整理してクオリティーを保ちつつ締め切りに間に合いました」程度だとあまり意味はないです。それよりはディレクションに入ったことで、それぞれのコーライトメンバーが「そうか、俺もこれだけのことができるのか」と逆に自分の能力に気づき、足りないものに気づき、私がディレクションで入ったことがきっかけで個々の能力が伸びることが何より大切だと思います。偉そうな言い方をして恐縮ですが、学んでほしいのです。そもそもコーライトをするソングライターは全員ディレクションをする力、意志を持っていてほしいし、ぶっちゃけ最近はそういう力を持っている人同士でしかコーライトしていません。(そして、その人たちのおかげで調子がいいです)

なので、、、
【自分たちだけでやるにせよ、ディレクションを頼むにせよ、ひとりひとりがディレクション・マインドを持っていなければ、長い目でみると意味がないですよ】

というところになるかと思います。

まとめ。

・ディレクションは魔法ではない。万能の薬ではない。
・ディレクションが成り立つにはコーライトメンバーの情熱=意志が必要
・ディレクションを頼む場合も、ひとりひとりのコーライトメンバーに完成形のイメージは持っていてほしい(ひとりひとりのイメージが同じじゃなくても、間違ったイメージでもOK。持つことが大事!)
・ディレクションに誘うならなるべく最初から誘ってほしい

みなさまからのお誘いをお待ちしてます!