「年間100曲」ペンギンスのコーライトな日々

コーライティング(Co-Writing)で年間100曲を完成させ、職業作曲家としてメジャーアーティストに楽曲提供しているペンギンスが、毎日のコーライティングで想うことを書いてます。

決断の前の「プレ決断」のほうがはるかに大事だ

こんにちは、作曲家のペンギンスです。

 

いま何をしてるかと言うと自宅スタジオに設置した「人をダメにするソファ」Yogiboに絡め取られ笑、ふわふわしたクッション素材に徐々に吸い込まれながら意識を失いつつあります笑。

 

そんな時に何を思うかと言うと、やっぱりこれまでの人生を振り返り、何が節目だったのかな、みたいなことを思うわけですね。

 

受験、ボカロ、就職。引っ越し、結婚、作曲家。色々ありましたけども。

 

なんか、そんなに流されて生きてきた訳でもなく、それなりに人には「決断力あるね」とか言われるタイプなんですが、なんでかなーと思って考えてみると、そもそもあんまり「決断を決断と思ってない」ふしがあることに気づきました。

 

というのも。

 

決断って、だいたいする前に既に結論出てません?

 

最後ほんとに「この会社にしよう!」とか「コイツと結婚しよう」みたいに「決断!」とかする時って、基本は決まってて最終会議というか、なんか適当なたとえですけど根回しは済んでて総会は単なる儀式ですみたいなことよくありますけど、個人の決断も似たとこあるなと思うんですよね。

 

決断の前の「プレ決断」。

 

例えば住む場所を決めるとして、まず駅前の不動産屋に飛び込むのか。大手の不動産会社の支店に入るのか。それとも物件探しのサイトで検索するのか。検索するにしても、どのサイトか。はたまた知人に質問するのが先か。

 

こういう「決断するためにどんな方法をとるかの決断」って、適当にされがちですけど、これって決断の準備段階の「プレ決断」じゃないですか。

 

そして、こっちのほうがはるかに大事だと思うんですよね。

 

なぜなら、一度ある検索サイトで調べ始めたり、不動産屋に相談しに行ったら、そこからは「その媒体の世界観の中で論理的に一番しっくりくる物件」を探すことになる訳で。そしたらまぁ、だいたい答えなんてほぼ決まってくる。

 

流れに乗ったあとに「決断風」のことをしても、それは流されてるだけ。あとは流れに身を任せることしかできないのは仕方ない。どの流れに乗るかが本当の決断ですよね。

 

音楽の話にちょっと寄せると、「どんな曲を作るべきか?」と考えて、参考になりそうな曲を探したりする訳ですが、その時にSpotifyを聴くのか、iTunesにリッピングしたCDコレクションから探すのか、気の合うミュージシャンと雑談しながら決める(というか教えてくれる)のか、はたまた映画を観てたらワンシーンに鮮烈な印象を受けて曲作りのプランがぴしっと定まるのか。

 

「曲作りのアイデアを出すためにする行為」の時点で、そのあとの曲作りが大きく左右されてる感じ、あります。

 

「そろそろ考えなきゃなあ」みたいなこと言ってるうちに、気づかないうちにもう「プレ決断」終わってて、あとは形式的な決断に向けて既に流しそうめんの竹筒の上を流され始めていること、ありませんか?

 

流しそうめんに流されてから、ざるそばになる決断はできないんです。

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