おはようございます、作曲家のペンギンスです。
大切な〆切が近づいております。
毎日大忙しです。
こんな時こそ規則正しい生活しててよかったなーって思います。
〆切があっても、なくても、
結局ねむたいときはねむいし、
調子いいときは調子いいんですよね。
身を委ね楽しくやろうと思います。
こんにちは、作曲家のペンギンスです。
だんだん暑くなってきましたね。。。
note.com
というわけで、たまには自分がやってるnoteのつづきをブログで書いてみるんですが。
上記の「リスクを上手に取れない」というnoteがちょっと身の回りで反響がありました。
「うまくリスクテイクして成長できない」という自分自身の短所を自覚したので、それを解決するために「1日1回、勇気を出す(リスクテイクする)」というチャレンジをしようと思ったのですが、どうやれば具体的に、それが実際にちゃんとできるかなーと。
これ難しいのは、勇気を出した内容ってだいたい、SNSに書くようなことじゃないんですよねw
レオスキャピタルワークスの藤野英人さんがFacebookに毎日書いてる「今日よかったこと」みたいに、いいこと、とかはSNSに書いていいと思うんですけど。
勇気を出して断った
勇気を出して指摘した
とか、角が立つでしょw
うーん。
ちょっと考えてたんですが名案がない。
このエントリを書きかけのまま3日くらい放置してしまったので一旦アップします笑
「1日1回、勇気を出す」方法、考え中。
こんにちは、作曲家のペンギンスです。
今日は、歌のディレクションについてのお話です。
仮歌さん、あるいはコーライトチームのシンガーなどにトップラインを歌ってもらったけど、なんとなく歌のイメージが思っていたのと違う、なんてことありますよね。
やっかいなのが、(自分がシンガーでないと特に)イメージ通りのボーカルテイクと目の前のボーカルテイクが「違っているのはわかるけど、どう違っているのかはわからない」というケース。
「なんとなく違う」しか言えないようではディレクションできないし、「明るく」とか「元気良く」とか言ってみるものの、そんな情緒だけの話でもないような気がする。。。となる時ないでしょうか。
そんな時には、「このシンガーの『母音ぐせ』はどうなっているか?」を考えてみるとよいと思います。
「母音ぐせ」というのは僕が勝手に作った造語です。これは、シンガーによって口の中の形が異なり、口を開けたときの開き方にも個人差があるため、同じ歌詞を同じメロディーで歌っても、同じ発音にはならない、という事を指しています。そして僕の経験上、とりわけ子音ではなく、母音が顕著にクセが出るなと感じています。より正確に言うと子音にもきっとクセはあるんですけど、母音で出るクセって結構クリティカルというか、メロディーの印象を変えてしまったり歌詞が聞き取れなくなったりする原因になるな?と思っています。
実際の例でいうと、たとえば良くあるのが「全体的に母音が、うっすらと「e」に引っ張られている」というパターン。
例)Official髭男dism「Pretender」なら、
きーみーのー うんめいのーひとーーはぼーーくじゃないーーー
という歌詞を、「eの母音ぐせ」があるシンガーがもしカバーしたら、注意しないと
けーめーねー えんめーねーひてーーえべーーけじぇねえーーー
という風に歌うクセがあるって事なんですよ。
いかがでしょう?
「ああ!あの時、なんか歌入れがうまくいかなかったけど、言われてみればあの違和感ってそういう事か!」と思い当たる節がある方もいるのではないでしょうか?
こんな時の僕の対処法ですが、必ず「そのまんまのことを伝える」ようにしています。つまり「歌はうまいし、雰囲気は良い感じなんだけど、全体的に母音がクセなのか、eの音に引っ張られて、エ行の音ばかりに聴こえるから、歌詞が届かない。もう少し母音を意識して、歌詞の言葉が正確に伝わるように注意しながら歌ってみて欲しい」ということですね。
これを曖昧にして「口を開いて歌う」とか「言葉を大切にして」とか伝えても、もしかしたらそのときはうまく行くかもしれないけど、本質的に何が起きてるかをシンガーに伝えられてないので、次からもきっとまた「母音ぐせ」が出て、eのクセならまたエ行連発みたいに聴こえるテイクになっちゃうので、歌う本人のためにも正確に伝えてあげることが必要だなと思います。
ボーカルを観念論や精神論でなく、なおかつお互いに気持ちよくディレクションできるように、まだまだ修行の日々だなと痛感しています。
こんにちは、作曲家のペンギンスです。
ひさびさにマイクラを立ち上げてつくったのがこれ。
細い穴を掘り、TNT火薬を詰めて爆破し、深くて太い地下道を作り。
fillコマンドで石を並べ、またまたfillコマンドで線路を並べ。
トロッコを走らせて地下鉄にしてみました。
作ってみて思うのはコマンドで一瞬で敷設すると何事も喜びが減りますね笑
なんというか、何をコマンドで自動化して、そのぶん何をこだわるか。
どこまで高みを目指すのか、そのために何を諦めるのか。
世界を作り上げるこちらの意思が問われる局面だなと思いました。
まぁ、、
その、、、
「コーライトおやつ」と「マイクラ日記」は適当に読んでください笑
こんばんは、作曲家のペンギンスです。
久々に、がっつりコーライティングを論じたいと思います。
今日はタイトルの通り、「音楽的にすぐれたコーライトと、採用されるコーライトと、戦略的なコーライトは、ぜんぶ別で、ぜんぶ素敵で、全部必要だ」というお話をしたいと思います。
いいコーライトってどんなコーライトだろうというのを考えていたら、この3つになったんですね。
1・音楽的にすぐれたコーライト
これは説明不要ですね。「メロディーが感動的」「コード進行がおしゃれ」「トラックが洗練されていて踊れる感じ」「ジャンル感に特徴があり個性がはっきりしている」「歌詞がハッとさせられる現代的な視点を持っている」「ミックスが素晴らしくて曲の完成度が高い」などなど。音楽的にすぐれた要素をもっている楽曲がうまれる、そんなコーライトがすぐれたものであることは、論を俟たないと思います。
2・採用されるコーライト
これもおそろしくシンプルなので説明不要ですね。結果論でしかありませんが、A&Rやアーティストの目に留まり、楽曲採用となり、リリースされれば、それは一定の価値のあるコーライトだったということは当然です。
3・戦略的なコーライト
これがわかりづらいのですが、とても大事です。表現に迷ったのですが、戦略的な意味付けのあるコーライトは、価値があるということです。あえて言うと、戦略的な意味づけのあるコーライトは、たとえできた曲が音楽的にダメでも、採用されなくても、価値があるということです。「えっ、どういうこと?」となるとおもいますので、説明します。
戦略的という言葉は、ビジネス書とかで多用されますが、意味がわかりづらいですよね。僕は読んで字のごとくで「戦いを略すことに役立つ」という意味で考えています。血や涙が流れる悲しい戦い(現代風に言い換えれば「大金失って徹夜して体壊して家族失って」みたいな事でしょうか・・・)を避けて、平和なまま目的を達成しようみたいな意味だと思ってます。そして戦略的という言葉はもう一歩踏み込むと「次へ繋がる」という意味があると思ってます。ネットでぴったりくる図や絵を探したのですが完璧なやつがないので言葉で説明すると、
山登りするときに、いきなり北壁から登ると遭難して死んじゃうけど、
山頂から逆算して、
自分にとって最適なルートを選び、
必要に応じてテントを張って拠点を作りながら、
ゴールを目指していく・・・
っていう図を結局使いましたけど笑
このように例えば「日本中に愛されるヒット曲を作るぞ」とか「グローバルに高く評価されるプロデューサーになる」とかひとりひとり違えど、目的に対して一生懸命に向かっていく中で、その「通過点」になるようなコーライトができたとしたら、それは「次に繋がる、未来に繋がる」という意味で「戦略的」だなと僕は思います。
無謀に山に登ると死んでしまうが、戦略をもって登れば素晴らしい景色を眺めることができる、ということですね。そういう意味で無謀な登山=戦いを「略」して、計画的に限られた体力や食料のなかで目的(山頂)を目指すというのは、まさに戦略的だと思います。
ぼくらも「限られた歌唱力・演奏力」「限られた機材」「限られた作曲時間」「限られた体力・年齢」「限られた仲間」「限られたコネ」・・・限られた資源(リソース)を最大限活用して、自分の夢を叶えなきゃ、ですよね?まさに、戦略が問われます。それをコーライトでやろうとしているのだから、これぞまさに「戦略的コーライト」です。
そして面白いのは、そういう戦略的なコーライトはじゃあ音楽的にすぐれているに決まっているだろう、そういうコーライトの曲はすぐに採用されるだろう、と思うと、そうではないんですね。別にそれは関係はない。
これは考えてみると自明のことで、そのひとの人生の目標にとって大切なことと、クライアントが求めていることは当然違うし(なんなら毎回オーダーは違う)、そのひとの人生にとって大切な曲と、音楽的に正しかったりハイレベルだったりすることも、また別のことだからです。
だから音楽的に素晴らしいわけでもないし、採用もされなかったけど、あなたの人生にとって忘れられない「転機となったコーライト」というのがもしあれば(僕はあります)、それは戦略的に大変意味のある、価値のある、素晴らしいコーライトなんだなと思います。
・今までにない人脈へとつながっていくきっかけとなったコーライト
・今までにないやり方にチャレンジしたコーライト
・今までにない環境で行われたコーライト
・海外でのコーライト、多国籍でのコーライト、時差のあるコーライト
・自分が一番後輩のコーライト、自分が一番先輩のコーライト
・いつもと違う楽器を使ったコーライト
・いつもと違う役割に徹したコーライト
転機となったコーライトが、登山でいう次の峰への道筋を教えてくれる。次の山への稜線へと続いていく。
そういうコーライトを、偶然だけでなく、自らの力で設計というか、呼び寄せたり手を挙げたりして、次へつながる布石を打っていく・・・まさに、戦略的コーライティングだと思います。
あまり長い記事になるのも良くないので、まとめにかかりましたが。
音楽的にすぐれたコーライティングを追い求めることも必要ですし、採用にこだわることもプロとして絶対に大切です。ただ、その2つの軸とは別に「戦略的コーライト」という軸が存在し、そしてそれは音楽的優劣やビジネス的優劣とは別の、独立した価値なんだ、ということを、お伝えできれば幸いです。
こんばんは、作曲家のペンギンスです。
久々にコーライトおやつのご紹介です。
やーばいっすよ。これはやばい。
うんま。
はい。
無印良品「チョコがけいちご」シリーズです。
不揃いないちご(おそらく、品質・味に問題はないのに見た目だけのせいで単体では出荷レベルに達しないもの)をチョコがけで活用する事でおいしくいただけるすぐれもの。
写真に載せたのは「宇治抹茶チョコがけいちご」ですが、これ以外にも「ラムチョコがけ」「ホワイトチョコがけ」「ストロベリーチョコがけ(ダブルでいちごかよw)」と関連商品多数。
夏だから溶けちゃうから冷蔵庫に突っ込んでみましたが冷やしておいしくいただけます。
これとアイスコーヒー(もちろん無糖!)を合わせて夏のコーライティングに糖分補給してがんばります。