「年間100曲」ペンギンスのコーライトな日々

コーライティング(Co-Writing)で年間100曲を完成させ、職業作曲家としてメジャーアーティストに楽曲提供しているペンギンスが、毎日のコーライティングで想うことを書いてます。

作家対談企画・with永野小織「コーライトは「愛」にこだわりたい」第2回「(音楽を)なんとなく、あきらめるのかなって思ってました(永野)」

vol.2「(音楽を)なんとなく、あきらめるのかなって思ってました(永野)」


内山「永野さんはトップライナー&ディレクション、の立場が一番多い?」

永野「そうですね、それが一番多いです。
   歌詞書いてるパターンも同じくらいあるかもしれません。

内山「あ、歌詞書くのね!いやまあ、書いてもらったことあるけどw」

永野「そうでしたね笑 書きます!!
   歌詞はほんと2年前くらいは全然書けなかったんですけど去年だいぶかけるようになった感があって。実際歌詞採用もいただけたものもあって、嬉しかったです。」

内山「なるほどなるほど。
   なんか、話を聞いていると、2年前(CWFに来たときくらいですよね?)は出来なかったことが今は出来る、みたいな話が多いですよね。そこに2年間での成長があるということだと思うんですが、もともとはどうやって音楽を始めて・・・っていうとっかかりの部分を教えてもらえますか?」

永野「はい。親がクラシック好きだったりしたもので一応ピアノをやってましたが、そこまでハマってはおらず、でした。さらに小学校まではほとんどJPOPも聞いてなかったので90年代前半の音楽とかリアルタイムでは知らないんですよね。
   で、中学入って、GLAYに恋をしまして笑 一気にJPOP聞き始めた感じです。高校から軽音楽部入って、ギターはじめて。それからずっとバンドはやってましたが、ほんとうに趣味程度というか、コピーしたりたまにオリジナル作ったりくらいで。」

内山「なるほどピアノから入ったことは入ったんですね。ギターのイメージだったので。もうとにかく、永野=GLAYという構図だった(笑)」

永野「それ、私そんなに言ってたのかな?笑 間違いではないですが笑」

内山「なんかね、たぶん、要所で言ってるんだよw」

永野「親もだし、たまたま小学校の担任の先生がモーツアルト好きだったので、小学校でもなんかオペラの曲みんなで歌ったり、クラシックばっかりだったんですよ。笑 中学からがっつり方向転換笑」

内山「まあ、みんな中学校でポップの洗礼を受けますね。
   聞いてて思ったのは、作家志望の人って、基本的にはバンドでメジャー目指したりとか、シンガーとしてデビュー目指してましたとか、音大や専門で最初から作曲家編曲家の勉強してましたという人がやはり多いですけど、そういう気持ち、仕事にするぞという気持ちは実はあまりなかった感じ?」

永野「全くなかったです。大学選ぶときも、就職活動のときも、一切そういう考えはなかったですね。山口ゼミに入ったときも、作曲家になりたい!っていうより「音楽を続けるかあきらめるか判断できる」みたいな触れ込みだったので、なんとなく、あきらめるのかなって思ってました。

内山「いやー、すごいなぁ。確かにそういう触れ込みだったけど、そのあきらめるかどうかの判断でやって来るひとって、基本的に、わりとあきらめるタイプだと思うんだよね。でも、そうではなかったわけじゃない?なんかこう、あきらめるかどうかの判断の2年後に109曲作っている人は多分いないw そこがさおちゃんのとっても大事な何かにつながっている気がする!」

永野「たしかに笑 とにかくハマっちゃったんですよね。でやっぱりそれにはコーライトって本当に本当に大事な要素だったと思います。コーライトブログらしくなってきた!笑 音楽が好きで、いいものを作りたいと思ってて、色々な技術や得意を持ってる仲間がたくさんできた。」

内山「ああーこれはね、いい話になりましたよw」

永野「いい流れです。笑」

内山「なんだろう、作家なんてみんな音楽で人生変わった奴らばっかりだと思うんだけど、コーライトというものがこんなに音楽人生を変えた、というのは、僕ですら全然そうじゃないからね。すごいと思う。
   僕こう見えて、一人で全部出来るべき的な考え方、そこそこあるし。