「年間100曲」ペンギンスのコーライトな日々

コーライティング(Co-Writing)で年間100曲を完成させ、職業作曲家としてメジャーアーティストに楽曲提供しているペンギンスが、毎日のコーライティングで想うことを書いてます。

曲が良くなる(ダメになる)「真実の瞬間」をとらえよう!

こんにちは、作曲家のペンギンスです。

僕が尊敬する方でいつも発信に注目してるひとりに、経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏がいます。京大からマッキンゼー・アンド・カンパニーを経て肉体労働からカルト宗教、ホストクラブまで経験後、船井総研を経て独立、というなんかどういうことなんだという経歴の方ですが、昨日そんな倉本氏がwebメディア「FINDERS」に掲載していた記事がとてもよかったです。

finders.me

3.11のときの原発事故がそういうイシューであったように、2020のコロナショックも人々の分断と罵り合いをもたらしました。。。SNSで仲の良い人、お世話になっている人が年甲斐もなく感情的になったり、現場の苦労も顧みず政府や自治体を嘲笑したり、かと思えば感受性豊かであるがゆえに鬱に苦しんでいたり、実際問題、音楽の仕事が飛んで金銭的に窮乏されていたり、あるいはデマに惑わされたり、ついには謎のバトンを回したりしている感じが9年前とそっくりですね。とても苦しく、つらい気持ちになり、しかもそれをどこかに発信しても誰も幸せにならないので、最近SNS断ちをしていまして、こうして発信行為をするとき以外実はタイムライン的なフローはみないようにしています。早2ヶ月ほど経ちましたが、主要報道以外をシャットアウトしても全然自分の人生に困ったことはなく、このままSNSは見るものではなく発信するものとして使っていこうと思っているところなんですが、そんな状況でも欠かさず読んでるのが倉本さんの記事です。
極論に走らず、常にコンサル的論理思考と科学的事実に加えて人々の「まぁそういう結論になっちゃう気持ちもスゲェわかるよ・・・」という「現場のリアルな感情」を汲み取りつつ、「みんな望んでるゴールは同じだよね?」というアウフヘーベンにより全員が納得できる共通解を探っていくその姿勢には大いに刺激を受け勇気付けられます。ぜひご一読いただければと思います。

で、このブログはもちろん「日本初の(そして唯一の?)コーライトブログ」なので笑、もちろん上記の記事もコーライトに関係ある、というか関連づけて考えるとおもしろいなーという箇所があるから取り上げているわけですね。
そこをちょっとフォーカスしてみます。

大事なのは「そもそも会わない・外出しない」的にザツに一緒くたな対処をするのではなく、

「会う必要があるなら会ってもいい」「外出する必要があるなら外出してもいい」
けれども、
「ウィルスが伝播する真実の瞬間」だけを選び取って、「それがそもそも起きづらくするクセ付け(行動変容)」を出来るだけローコストな形で工夫していくこと
です。(上記倉本氏記事より引用、強調箇所はペンギンス)


というね。
僕がすごく共感したのはこの「真実の瞬間」というところです。で、ちょっと勝手ながら倉本氏の文章を引用のうえアレンジさせていただき、今日コーライトについて言いたいことを一言でまとめてみたいと思います。

大事なのは「そもそもコーライトしない・一人でしか作曲しない」的にザツに一緒くたな対処をするのではなく、

「ひとりで作る必要があるならそれでもいい」「コーライトしないほうがいいならそれでもいい」
けれども、
「コーライトで曲がダメになる真実の瞬間」だけを選び取って、「それがそもそも起きづらくするクセ付け(行動変容)」を出来るだけローコストな形で工夫していくこと
です。


ね!
というわけで今日のタイトルは「曲が良くなる(ダメになる)「真実の瞬間」をとらえよう!」です。

はじめに申し上げておくと「曲がダメになる」というとネガティブですが逆に「曲が良くなる真実の瞬間」も当然ありますので、このようなタイトルにしました。とにかく、雑駁に「この曲は良い、悪い」「コーライトは良い、悪い」じゃなくて「この曲のここは良い、ここは悪い」「コーライトのここは良い、ここは悪い」という風に「真実の瞬間」だけを選びとって、そこが悪いなら直す、良いならひろげる、という判断がとっても大事ということです。

で、いよいよ具体的な話に入っていくんですが。曲作りをしている方ならご経験があると思いますが、「スゲェ傑作が思いついたと思って作り始めたのに、できあがった曲はイマイチだ」「正直たいして期待せずに始めたコーライティングで、いつのまにかすごい名曲が完成していた」ってこと・・・両方ありますよね? 僕は両方あります笑。これ、一体なにが起きているんでしょう?「今回はイマイチだったね」「いやぁ、良いのができちゃった」で終わらせずに、「それは一体なぜだったのか」を検証するのが、やっぱりものづくり日本の「ジャパニーズ・コーライト」の真髄(であってほしい)ですよねー。

そうして振り返ってみると、「真実の瞬間」って、あるんですよね。振り返ってみると「あそこからこのコーライトはなんかおかしくなったよな」とか「この曲、あの瞬間から名曲になったよな」みたいな、その曲の分岐点になるような瞬間は、確実にあります。

この「真実の瞬間」には特徴があって。

1・「真実の瞬間」かどうかは事後的に決まる(注・音楽の話であってコロナは知りません)。
2・「真実の瞬間」がコーライトが始まる前にもうある場合もある。
3・たんにクオリティーが高い(低い)アウトプットが出たことを「真実の瞬間」とは言わない。
4・「真実の瞬間」が本当はない時でも「あれが真実の瞬間だったのかな?」と振り返ったほうが、自分のためになる。

というとこですね。ま、じゃあ、とにかく具体的なエピソードしてきましょう。

良かった曲がダメになるの王道でいうと「その曲固有の良さがあったのに、それをコーライトメンバーが理解しきれず、一般的な正解に持っていこうとしちゃう」みたいなパターンはとても多いなと思います。あえて特定の年代のサウンド感を狙っていたのに、最新のサウンドをむやみに取り入れた結果、それが「(ダメになる)真実の瞬間」だった、ということですね。上記の3番のまさに良い例でして、クオリティーが高いからこそみんな「これはちょっと違くね?」と言い出せず、カッコいいけどクライアントのオーダーからズレたものが生まれるという話です。
この場合「だからコーライトはダメなんだ」とならないのはもちろん、そのトラックメーカーだって別に悪いことをしているわけじゃありません。仕上がりだってクオリティーは悪くない。だけど「なにが今回、求められているか」ということを全員で意見一致させず、ひとつになりきれないまま進めると、そういう瞬間がおとずれてしまう、ということですね。
それが「真実の瞬間」なんだ、とわかれば、「じゃあ最初からコンセプトを言葉でまとめて書いておこう」とか、「後戻りが難しくなるポイント(仮歌を発注する時点とか)がきたら一回みんなで議論をする習慣をつけよう」みたいに、次から何をすれば良かった曲がだめにならずに済むかわかるはずです。

いっぽう悪かった曲が名作になるのパターンでいうと「メロディーや歌詞をあきらめずに追求しつづけた結果、眠っていたその曲固有の良さが開花するようなワンフレーズを見つけることに成功した」というパターンがやはり一番ポピュラーかなと思います。これは結構おもしろいことで、いつも必ず起きるとは限らないけれど、「何も悪くはないけどとりたてて良くもない」みたいなメロディーをシビアに10回近く修正のやりとりをしていった結果、7,8回目くらいで「おいおい、こりゃぁ名曲「だった」のか。クゥ〜気合が入るぜ」と、まるで丸太の中から観音菩薩の姿が鑿(ノミ)によって削り出されるように良いメロディーが発見されることがよくあります。
この場合も「ほらやっぱりコーライト最高だろ?ケミストリーだ!」と安易にコーライト万能論に与するのではなく、たとえばMessengerでこのやりとりをしているのだとしたら、あとからやりとりのmp3を聴き返しながら、ヒマな時にでもMessengerのログを読み返すくらいの習慣はあってもいいと思います。「ああ、この人のこの発言、こういう意味だったのか」とあとからその価値がわかることだってあるはずです。そうやって具体的な「真実の瞬間」を「何時何分、地球が何回回った時」くらいの精度で笑、追求してみることが大切だと思います。
そして「真実の瞬間」が見えてきたら「誰それさんとコーライトするときは、すごい控えめな人だけど、無理やりにでも意見言わせてみるとかなり的を得た鋭い問題点の指摘をするから、ちょっと不自然かもしれないけど次回から、ちょいちょい@でreply飛ばしてみよう」みたいな具体的な行動に結びつけることだってできるはずです。

いかがでしたでしょうか?

コーライトが普及するにつれて、何回かコーライトしただけで「流行ってるけどロクなもんじゃねえな」と「事実上のコーライト食わず嫌い」になったり、逆にあまりコーライトをしていないうちから「コーライトを上手にできなきゃ・・・!まずはしっかりコーライトの勉強を!」みたいにちょっと言い方悪いけど「コーライト信者」というか「コーライト厨(笑)」みたいになったり、と色々なケースが出てくるかもしれません。

でもこれ、どっちも極論ですよね。極論に走らずに音楽への愛を本当にみのらせ、なんならビジネスとして成立させるためには、ここでも倉本氏のいう「真実の瞬間」を切り分け、みきわめることが大切です。

コーライトは単なるツール、手段にすぎず、大切なのは音楽、もっといえば音楽を届けてお客様(クライアントやリスナー)が笑顔になってくれることです。それが作曲家のミッションなのだということを忘れずにいれば、ひとりひとりが自分に似合った形で、無理せず末長くコーライティングを楽しんでいけるのではないでしょうか。

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