「年間100曲」ペンギンスのコーライトな日々

コーライティング(Co-Writing)で年間100曲を完成させ、職業作曲家としてメジャーアーティストに楽曲提供しているペンギンスが、毎日のコーライティングで想うことを書いてます。

僕がコーライトに出会ったころ

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こんにちは、作曲家のペンギンスです。今日は僕がはじめてコーライトしたときの話をしようと思います。

 僕は現在Co-Writing Farmというクリエイター集団に所属して作家活動をしています。このチームは全員が山口ゼミという職業作曲家の養成講座出身なのですが、このゼミの総仕上げのような形で仲間たちとチームを組んでコーライトしたのがはじまりです。今から3年前のことで、合計4名のチームでした。役割的にはトップライナータイプが僕を含めて2人、トラックメーカーorアレンジャータイプの人が2人で、歌える人はいないというチームでした。ディレクションは僕でした。ターゲットを某男性ダンスボーカルグループに設定して、まず初日に顔を突き合わせて数時間のライティングセッションをし、その後はFacebook経由でやりとりしながら1ヶ月後くらいに完成形を仕上げるという感じだったと記憶しています。
 結論から先に書くと、けっこういい感じの曲ができ、客観的な評判も上々でした。僕自身も初の本格的コーライトは「これは面白いぞ」という感じで、なんの抵抗もなく楽しみ、刺激を受け、同時に反省も色々あったので自然と「次からは・・・」という感じでPDCAサイクルも回るみたいな感じでした。まぁ要するに、結構最初からコーライトは自分に向いてるなと思えたんですね。
 これだけだと「たのしかったですおわり」なので、「でも一般的に最初のコーライトってどんな感じになるものかな?」っていうところと「僕はどうしてそうならなかったのかな?」ってところを書きたいと思います。

 やはり「初コーライトあるある」といえば「全員の意見を全部少しずつ取り入れようとする」ではないでしょうか。これは「どのアーティストを狙って曲を書くか」というターゲット設定もそうだし、「こういう感じの曲を書いてみよう」というリファレンス(参考楽曲)設定もそうだし、もちろんメロディーを書いたりアレンジも全部そうなんですが、「みんなでつくる=みんなの意見を平等に取り入れなきゃ」みたいな方向に行くとあんまり良い結果にはならないです。なぜなら本来「曲が良ければ全て良し」であって、コーライトすること自体が目的ではないからです。「じゃあ間を取って・・・」みたいな判断をして創作がうまくいった試しがないです。一人で書いたほうがいい曲書けるならコーライトしなければいいんです。なので、「一番いいものを作るために、今できる一番いい判断をし続ける」ってことに全員がフォーカスできると、いいコーライトになるんじゃないかなって思います。
 そして今思うと、僕がどうしてそういうディレクションをせずに済んだかというと、キザっぽい言い方で恐縮なんですが「曲が良くならなそうなときに、黙って見てられない程度には音楽が好きだった」という事なのかなぁ、と思います。自分の中で「良いメロディーとは何か」「良い歌詞、良いアレンジとは」といった価値観の軸のようなものを持てると、判断がぶれることはないです。
 これは決して自分の価値観を曲げるなということではなくて、自分の価値観がしっかりあるほど、他人の価値観も理解しやすいんですね(母国語をちゃんと勉強すればそれを応用して外国語も上達するよ的な感じです)。自分の音楽の判断軸をちゃんと持ってコーライトすれば、いいアイデアには柔軟に対応できるし、イマイチなアイデアにはちゃんとマナーをわきまえてNGが出せるんじゃないかなと思います。
 そんなこんなで楽しい初コーライトでしたが反省もありました。それは次回。

【次回予告】
次回は「自分の意見は自分の口から言おう」です。